三島駅南側に広がる国立公園「楽寿園」は、明治・昭和の激動期、一人の実業家の決断によって分割売却の危機から守られました。その背景には、東京のウォーターフロントで日本の造船業を支えた緒明(おあけ)家の誇り高い歴史があります。
1. 李王垠殿下から緒明圭造へ:100万円の義挙
明治23年(1890年)に小松宮彰仁親王の別邸として築かれたこの地は、明治44年(1911年)に韓国王世子の李王垠(り おうぎん)殿下の別邸となり、「昌徳宮(しょうとくきゅう)」と呼ばれました 。
昭和2年(1927年)、この地が分割売却の危機に直面した際、伊豆半島出身の実業家・**緒明圭造(おあけ けいぞう)**が立ち上がります 。彼は当時の金額で「100万円」(現在の価値で数十億円規模)という巨費を投じて一括購入しました 。この決断こそが、三島の貴重な文化的・自然的遺産を現代に留める歴史的転換点となりました。
2. 父・緒明菊三郎と「お台場第四砲墪」の縁
圭造がこの「義挙」を成し遂げられた背景には、実父である**緒明菊三郎(おあけ きくさぶろう)の存在があります 。菊三郎は「緒明造船所」の創業者であり、明治時代に品川台場の第四砲墪(第四台場)**を取得して造船所を設けた人物です 。
未完成のまま放置されていた第四台場を、大規模なドック(緒明ドック)へと発展させ、芝浦・品川エリアの近代化を牽引しました 。東京の「海」で菊三郎が築き上げた造船事業の基盤が、のちに息子の圭造を通じて、三島の「山(楽寿園)」を守る力となったのです。
3. 三島の「安住の地」として次世代へ
緒明家によって大切に守り抜かれた庭園は、昭和27年(1952年)に圭造の息子・太郎氏から三島市へと譲渡されました 。昭和29年(1954年)には、富士山の三島溶岩流や自然林の景観が評価され、国の天然記念物および名勝に指定されています 。
お台場や芝浦の海で産声を上げた造船の魂は、今も三島の豊かな森と湧水の中に、確かな記憶として息づいています。


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